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【公園三昧】
東郷元帥記念公園 -東郷平八郎私邸の跡地《公園三昧:第12回》

2008年2月27日

東郷元帥記念公園は昭和4年(1929年)7月1日に開園した広さ2千坪余(7,119m2)の公園です。場所はJR市ヶ谷駅の東、徒歩6分。靖国通りから南へ入った所にあります。この公園は日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎連合艦隊司令長官の私邸があった場所で、その後震災復興計画により公園となったものです。

公園内は一段高い部分と低い部分とで、高低差があります。はじめは関東大震災の復興計画で低い部分が上六公園として昭和4年に開園し、東郷邸がこの公園に隣接していました。東郷元帥の没後、東郷元帥記念会から寄付を受けた千代田区が高い部分を公園として昭和13年(1938年)に開園し、両区域を合わせて現在の名前となりました。

園内には東郷邸にあったライオン像や力石が残されています。また、子どもたちのための遊具がいろいろと設置されており、小さな子ども連れの親子に親しまれています。
また、昭和43年(1968年)にはじまった早朝ラジオ体操は、現在も近隣の5町会が共同で主催しているそうで、年中無休・雨天実施と立て看板に書いてありました。
公園の真ん中には茶色のレンガ模様の建物があります。これは「震災対策用応急給水施設」で、地下に1,500㎥の新鮮な水が蓄えられており、震災事には住民に給水されるそうです。

公園の名前である「東郷平八郎元帥」について調べてみました。東郷元帥は弘化4年(1847年)12月22日に鹿児島の薩摩藩士の四男として生まれ、薩英・戊辰戦争に参加後、イギリスに留学し、日清戦争では戦艦「浪速」の艦長として出征しました。この時、豊島沖で清国兵を輸送中のイギリス商船を国際公法に基づいて撃沈し、有名となりました。
日露戦争では連合艦隊司令長官としてロシアのバルチック艦隊に完勝し、提督としてネルソンと並び称されました。

日露戦争後は海軍軍令部長と東宮御学問所総裁を歴任し、大正2年(1913年)に軍隊における最上級の階級である元帥となりました。

昭和8年(1933年)の暮れに病床につき、昭和9年(1934年)5月30日に没しました。
6月5日に国葬が執り行われ、東郷邸から日比谷の葬儀場までの沿道に60万人、葬儀場付近に70万人、葬儀場から多摩墓地までの沿道に55万人、合計185万人が見送ったと言われています。