文字サイズ

[番外編] 渋沢史料館

2006年9月13日

前回、「紙の博物館」について書きましたが、飛鳥山公園には「紙の博物館」と軒を連ねて「北区飛鳥山博物館」、「渋沢史料館」が並んで建っています。「北区飛鳥山博物館」は、各地にある「郷土資料館」のようなものですが、「渋沢史料館」がこの地にあることには理由があります。飛鳥山は徳川吉宗以来の歴史をもつ江戸の行楽地として有名ですが、「近代日本資本主義の父」とも言うべき渋沢英一の旧宅跡地でもあるのです。現在の飛鳥山公園の一部はかつて「曖衣村荘」と号した渋沢栄一邸で、その面積は約28,000㎡に上ったそうです。

渋沢栄一は草創期の明治政府・大蔵省において国家の枠組み造りに携わっていましたが予算編成に関して大久保・大隈達と衝突して下野します。実業界に転じた渋沢栄一は第一国立銀行を始めとする「近代的な銀行」の創立に関わり、さらに、鉄道、汽船、紡績、化学、造船、建設、ガス、電力…等、広範な分野における企業設立を進めました。彼が設立・経営に関与した企業数は500に上るとされています。一業一社を維持することも大変なことだというのに、500社というのは、想像を絶します。

不思議なことは、実業界の大立者であったにも拘わらず、「渋沢財閥」は形成されなかったことです。上場企業リストをみても「渋沢倉庫」以外に渋沢の名を冠した企業はないようです。前回、「紙の博物館」に関して「王子製紙」にふれましたが、この会社も1873年渋沢栄一によって王子の地に創立された「抄紙会社」がその前身です。この会社は1893年、名称変更しますが「渋沢製紙」になった訳ではなく、単に創業地の地名をとって「王子製紙」になりました。

渋沢栄一はこんな言葉を残しています。
「私は実業家の中に名を連ねながら、大金持ちになるのは悪いと考えている。(中略)極端に考えて、もし一国の財産を悉く一人の所有物としたらどういう結果をきたすであろう。これこそ国家の最大不祥事ではあるまいか。」

こんなところが「近代日本資本主義の父」と称される所以かもしれません。