昭和ネオン高村看板ミュージアム
品川駅の高輪口から国道15号を下って八つ山橋を超えると右手に国道の横道のような通りがあります。自動車がどうにかすれ違える位の幅しかない道の両側には商店が軒を連ねています。北品川商店街です。どこにもありそうな、そして何か懐かしいような商店街です。実はこの道が旧東海道であり、この商店街が東海道の最初の宿場…品川宿です。
東海道を下る旅人は、見送りの人とこの品川宿で別れることが普通であり、当然のことながら品川宿は「壮行会場」となりました。品川宿は宿場であると同時に「遊興地」でもあったといえましょう。落語の「居残り佐平治」の舞台となった「土蔵相模」のような妓楼も賑わっていたようです。しかし、新橋・横浜間の鉄道開通(1872年)によって、交通の要衝としての品川宿は不要となりましたし、売春防止法(1958年)は妓楼を一掃しました。…という訳で現在「どこにもありそうな、そして何か懐かしいような商店街」が続いています。
長々と「旧東海道」について書きましたが、この通り沿いに昭和ネオン本社があります。中小企業といった雰囲気の6階建てのビルで、1階はエントランス以外が荷捌き所になっています。エントランスでキョロキョロしていると、社員らしい方が「看板でしたら2階ですよ。」と教えてくれました。
「昭和ネオン高村看板ミュージアム」はオフィスの横にありました。オフィスの一部を間仕切りして展示スペースを捻出したのでしょうか。広いとは言い難い「ミュージアム」には江戸・明治期の看板が所狭しと並んでいます。所謂「琺瑯看板」はなく手の込んだ木製看板ばかりです。
雨風に晒された看板の数々…不思議な迫力があります。これらは美術品あるいは骨董品としての地位が確立されたものではありません。古い商店が建て替えられる時に捨てられてしまったものも多いかもしれません。多くの場合、値段がつかないからです。しかし、これらの看板を見ていると、「なんとかしてお客さんを大勢呼び込みたい」という商人の切実な思いが感じられます。骨董品なのかどうかは別にして、人間の情念が込められた作品であるといえましょう。
沿革によれば、昭和ネオンは大正11(1922)年、「高村看板店」として創業し、その5年後「昭和ネオン工業所」と改称したとあります。新時代の看板であるネオンサインを広めることは従来型の木製看板を駆逐することだったのかもしれません。400点あまりの看板を収集したのは3代目社長で、ミュージアムを開設したのは4代目である現社長とのことです。








