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祭りで繋がる「江戸の粋」

第12回 成田市 小田垣利勝さん

江戸天下祭等、お祭りで繋がる地域の人々の祭りに対する熱い思いと千代田区との関わりなどを語ってもらいます。第12回目は江戸天下祭にも参加いただいた成田市の小田垣利勝さんにお願いしました。

成田に夏の到来を告げる「成田祇園祭」(7月6日・7日・8日)

祇園祭が近づくと成田っ子は、居ても立ってもいられないほどです。まず初日の安全祈願・鏡開き、山車・屋台競演に始まり、3日間に渡って各町内自慢の10台の山車と屋台が各町内をくまなく巡行します。祭りのハイライトは3日目、表参道で繰り広げられる総引きです。山車中央の若者頭があおり、笛や太鼓でお囃子連がもり立て、競り上がり式の人形が立ち上がったまま、山車・屋台は仲町の急坂を一気に駆け上がっていき祭りのクライマックスを迎えます。
成田祇園祭は毎年7月7日~9日に行われてきましたが、平成13年より開催日を変更し、「7月上旬の週末3日間(金・土・日曜日)」となっています。

成田祇園祭の歴史

祇園祭は、成田山新勝寺のご本尊「不動明王」の本地仏である「奥の院大日如来」の祭礼「成田山祇園会(ぎおんえ)」に併せて開催されてきました。
古くは大日如来のご尊像を捧持(ぼうじ※1)して各町内を渡御(とぎょ※2)しましたが、今日では大日如来をご尊体とした御輿が渡御し、併せて成田山を含む9町内10台の山車と屋台が成田市内をくまなく巡行します。
「成田祇園会」は享保6年(1721年)には行われており、約300年の歴史があります。当初は成田山で管理する「湯殿山権現社」を中心とした祭礼で氏子は往時33ヶ村にも及びましたが、時代の変遷とともに本地仏である成田山「奥の院御本尊大日如来」の祭礼へと移り、現在に至っています。

※1 棒持(ぼうじ):ささげ持つこと。
※2 渡御(とぎょ):祭礼の際、神輿(みこし)がお出ましすること。

千代田区へ里帰り

千葉県成田市は、成田詣を通して古くは江戸時代より江戸と交流があり、成田山新勝寺の門前町として栄えてきました。門前町の中心である仲之町に江戸の華・江戸囃子(えどばやし)と鉾山車(ほこだし)が登場したのは、江戸文化との密接な係わり合いを物語るものです。
山車の製作は明治33年。日清戦争が終り日露戦争が始まる前の、日露関係が急速に悪化しつつあった時代に、町民が神国日本創建の古事を偲んで岩座に神武天皇を奉安し、飛び来たる金色の鶏の御光に国家の安泰と万民の幸せを、大日如来・不動明王に祈願する為に造られました。
山車の作者は、神田黒門町の宮惣(みやそう)として古くから名の知られている村田惣三郎こと三代目・村田正親、そして神田田代町に店を構えた百雲正・山本鉄之(だし鉄)こと二代目・山本鉄五郎の共作であります。
今秋には千代田区の江戸天下祭に参加し、9月25日から30日の6日間丸ビル1階のマルキューブに展示することなり、念願の里帰りを果たすことが出来ます。
今後とも各地の祭関係者と交流を深め、祭礼文化の伝承に努めて生きたいと思います。

(2007.7. 小田垣利勝 記)

急坂を一気に駆上る、一番の見せ場

急坂を一気に駆上る、一番の見せ場

神田の宮惣作「仲之町 神武天皇の山車」(右)

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仲之町睦会」若者頭で指揮を執る小田垣利勝さん

仲之町睦会」若者頭で指揮を執る小田垣利勝さん