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祭りで繋がる「江戸の粋」

第5回 鴨川市 東島 暉さん

江戸天下祭等、お祭りで繋がる地域の人々の祭りに対する熱い思いと千代田区との関わりなどを語ってもらいます。第5回目は江戸天下祭にも参加いただいた鴨川市の東島 暉(とうじま あきら)さんにお願いしました。

勇壮な海の男の祭
-鴨川合同祭(9月9日・10日)-

鴨川合同祭は神輿7基、山車・屋台7台、担ぎ屋台1台で行われ、大人が神輿・担ぎ屋台を担ぎ、子供が山車・屋台を曳き回し、特に他所と違うことは、神輿・担ぎ屋台の担ぎ始めから担ぎ終わるまで甚句・木遣りを唄いながらの勇壮な担ぎ方です。
千代田区の江戸天下祭のお陰で神田の方々との交流が始まり、鴨川の神輿を担いだ感想を尋ねたら「神田祭の方がよほど楽」との答えがかえってきたほどです。
合同祭最大の呼び物は、鴨川市無形民族文化財指定「大浦の担ぎ屋台」で3本の担ぎ棒に屋根型の屋台を乗せ荒縄で結束、屋根を船、担ぎ手を海、3本の担ぎ棒は波、笛や太鼓は漁師たちの喜怒哀楽を表したもので大太鼓1名、小太鼓2名、笛師1名が搭乗、屋台がどんなに揺られ、斜めに傾いたり、差し上げられたり、地上に落とされても太鼓を叩き続けるという勇壮なものです。

鴨川合同祭の歴史

旧鴨川町には7つの神社があり、それぞれの神社で行われていた祭典を昭和40年代後半より合同で行なうようになり現在まで続いている市域最大のお祭りです。市全域で、山車・屋台が65台あったことが調査の結果分かっております。それ以前には1本柱万度型の屋台が巡行していた話や写真が残っており、安政3年(1856年)の墨書がある屋台もあります。また記録には天保4年(1833年)磯村厳島神社・弁財天の祭礼のおり、担ぎ屋台が初めて披露されたとあり、江戸時代には盛んにお祭りを行なっていたようです。

1世紀ぶりの里帰り

鴨川には2台の人形つき山車があり、最近まで私を含め町人皆、山車本体に関心無くお祭りに参加していました。東京より買って来たとは聞いていましたが調査して驚いた次第です。
「山王講山車」は明治42年、東京神田にて購入、霊岸島より東京湾汽船にて鴨川に運び43年から出祭しており、元の所有町会は人形が白壁町、台車が新石町と分かっていて、東京の神田神社より昭和50年2月15日に証明書が下賜され第1回江戸天下祭にも参加させて頂きました。
「諏訪講山車」山車購入以前より屋台を曳き回していましたが、山王講が羨ましく、翌明治43年東京神田から神功皇后人形つき山車を購入、44年より出祭、なお諏訪講は大正期に源頼義人形を購入しています。また、最近の調査で神功皇后人形は神田鍋町、源頼義人形は神田松田町と元所有町会が分かり、江戸天下祭には人形2体が丸ビルに展示され、平成16年4月1日神田神社より2体の人形に対し、江戸時代神田祭に巡行していた証明書2枚が下賜されました。
昨年江戸天下祭には参加の際には、今まで無関心だった人達の考えも変わり、若い人達は「おじさん、又東京行こう。」と声を掛けてくれます。開催して頂いた千代田区には心から感謝します。

(2006.7.10 東島 暉 記)

東京駅を背景に勇壮と行く神功皇后の山車

東京駅を背景に勇壮と行く神功皇后の山車

男の祭・荒々しい担ぎ屋台

男の祭・荒々しい担ぎ屋台

東島氏(写真左)

源頼義人形・神功皇后人形の前にて
東島氏(写真左)と倉野氏(諏訪講)